代表取締役 服部伸一

江戸時代の服部産業   木曽山の払い下げ木材を扱う”板屋”

当社の機能 服部産業が誕生した享保時代は徳川吉宗が行った享保の改革で知られています。
吉宗は緊縮財政のもと倹約を奨励し増税(年貢を強化)による財政の立て直しを行いました。特に年貢は4公6民から5公5民(50%)に引き上げられ農民の反発が強まりました。この時代の様相は消費税論議が不可欠になっている現在の日本とたいへん似ており、過去の負の遺産を払拭するために国民の我慢を強いる厳しい時代背景であったと思われます。
また享保の改革では資源保護のため厳重な木材伐採の制限を打ち出した点なども現在と比較し興味深いところです。
また、桧の有数の産地である木曽山や飛騨山を背後に控えた名古屋は白鳥の貯木場を中心として堀川沿いが木材の一大集積地として繁栄し木材加工においても先進的な役割を果たしたといいます。
当時、服部産業は“板屋”という商号で尾張藩から木材の払い下げを受け、地域の街つくりや家つくりの為に木材を供給していました。

明治時代の服部産業   名古屋経済の発展の為に

明治以降の木材産業は新政府の意向を受ける形で商組合を創立し木材流通の安定化を図った。服部小十郎も中心メンバーとして組合員の利害調整のみならず、地元経済の発展に寄与したという。
名古屋実業界の辣腕家として、多くの企業で重役を歴任するかたわら、政治家としてもその才をふるった第6代服部小十郎、一刀両断の決断力と闊達な人柄をもっての八面六臂の活躍は、ひたすら名古屋の発展を願ったものだった。
その実績は、多すぎるほどの肩書きが雄弁に物語っている。
名古屋電鉄、愛知セメント会社、名古屋瓦斯会社、中央炭鑛会社、豊川鉄道会社各取締役、名古屋株式取引所、豊橋瓦斯会社各監査役等々の要職につき、加えて明治35年の総選挙では推されて代議士、ついで明治40年10月、市会議長となった。
また、商業会議所においては、創立発起人の一人として東奔西走の尽力をし、最後までその職務を全うした。常に多忙の中にありながらも、木材商「板小」は、信用の高さでその名を市の内外にとどろかせ、小十郎が市の発展の一翼を担う基盤となった。
第6代小十郎が、大往生を遂げるまで、願ってやまなかった名古屋商業界の繁栄。
=扶桑新聞(中日新聞の前身)明治44年4月9日付記事=
その心意気を胸に、服部産業株式会社はお客様の信頼に応えてまいります。
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明治時代の弊社

第6代 服部小十郎

第6代 服部小十郎

昭和の服部産業   外材問屋部門を拡大

戦中の木材統制法を経て営業の自由が許可された後、高度経済成長下において木材需要も大きく増加しました。製材用や合板用、梱包用の木材は不足し、資源を求め東南アジアを中心とした海外からの木材輸入が活発化しました。当社も昭和30年以降フィリピンやマレーシアからの輸入丸太を扱う大手として存在感をもっておりました。
またアピトンという樹種の木材を自社で製材し梱包用、住宅用、車両用として販売していました。
また当社では昭和30年に設立された東海木材相互市場の浜問屋として、特に1980年以降当、もう一度国産材に目を向け、国産材問屋として全国の製材工場とタイアップして地域の材木店に柱などの建築用材を供給する販路を拡大しました。西部木材港に用地を取得し名古屋の堀川沿岸部から同地へ流通拠点のシフトを行いました。
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南洋材

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